犠牲ということ。

2003年2月6日
ちょっと時間がたってしまいましたが。
今回のスペースシャトルの事故について。

わたしははっきり言って、あれで亡くなった人(の関係者)には悪いけれど、ある意味「仕方がない」ことなんじゃないかな、とか思ってしまう。
あーいう事故で犠牲になるというのは、それほど理不尽な気がしない。
あくまでもわたしの感覚だけれど、わたしの感覚では、たとえそれが自分の関係者(身内とか友人とか)だったとしても、それは自分の希望して選んだ道に命を掛けただけのことだと思うから、それはそれで悪いこととは思えない。

ある程度の危険性は覚悟しているはず。
それでもそれをやりたいからやるんだ。
たとえ志半ばで自分が犠牲になっても、そこからいいデータが得られて今後の役にたつならそれでいい。
わたしがそういう仕事を選ぶならそう思う。

例えばまだはっきりと危険性のわかっていない薬なんかを試すのもそれに近いと思う。
ちょっとでもいい方向に向かう方に賭ける、という気持ちもあると思うけど、たとえ最悪の結果になったとしてもそれを生かしてもらえるのならそれでいい。

なんだか上手く言えないけれど。
もうちょっと落ち着いたらまたあらためて書くかも。


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