人は見かけ。
2002年7月6日わたしはけっこう本気で、そう思う。
「人は見かけじゃない」なんて嘘。
人は見かけ。見かけで判断されたって当然だし、だいたい見かけで本質はわかる。
とは言っても、別に顔の造りなんかを問題にしてるわけじゃない。
だいたい、自分ではブスだって思っててそう言ってる人って、他人から見れば実はけっこうキュートだったりするし。
自分で思ってるほど周りの人は気にしちゃいない、と思う。
ていうか、「気にしている」人はたいてい、気にし過ぎ。
例えばわたしだって、髪は一見ストレートだけど実は微妙に癖っ毛で、雨の日とか油断するとばさばさになって嫌なんだけど、でもそんなことを言ったら、「え?いつもすごいきれいなストレートでまとまっててきれいだよ?」とか言われた。要するに自分が気にしてるほどヘンじゃないってことなんだなー、って。一応気にしてることだから、雨の日はいつもより気合い入れてトリートメントしてたりするから、そのへんが一応功を奏しているのかもしれない。
逆に、「気にしてない」人の方がどうしようもない外見してる。
前にも書いたことあるけど、気にしてるのか気にしてないのかわからないけど、自分の体型も顧みず「流行の」ローライズパンツなんか穿いて、よけいデブで短足に見えてる子とか。
たぶん、「気にしている」子はそんな格好はしない。
(デパートのトイレで、「アタシお腹出てるからさー、あんなパンツ穿けないんだよねー!」って大声で話してる子がいて、思わずちらっと見てみたら、ちゃんと可愛いスカートを穿いていた。それはそれなりに似合っていて、可愛かった(そんなこと大声で話すのはどうかとは思うけど(笑)))
同期の女の子でも、わたしより年下なのに、なんかもう完全にオバさんな格好している子もいるし。
だから、「気にしている」のはそれなりに、いい方向に向かう原動力になるから、いいことなんだと思う。で、一応時と場合に応じて、「気にした」格好ができるかどうか、っていうのは、やっぱり普段の考え方のスタンスが出てくるんじゃないかと思う。
「見かけ」っていうのは要するに、身の程と状況に合った格好ができるかどうか、ってことなんじゃないかなあ。
。。。なんだかよくわからない論旨になってきたかも。
つづく、かも。
「人は見かけじゃない」なんて嘘。
人は見かけ。見かけで判断されたって当然だし、だいたい見かけで本質はわかる。
とは言っても、別に顔の造りなんかを問題にしてるわけじゃない。
だいたい、自分ではブスだって思っててそう言ってる人って、他人から見れば実はけっこうキュートだったりするし。
自分で思ってるほど周りの人は気にしちゃいない、と思う。
ていうか、「気にしている」人はたいてい、気にし過ぎ。
例えばわたしだって、髪は一見ストレートだけど実は微妙に癖っ毛で、雨の日とか油断するとばさばさになって嫌なんだけど、でもそんなことを言ったら、「え?いつもすごいきれいなストレートでまとまっててきれいだよ?」とか言われた。要するに自分が気にしてるほどヘンじゃないってことなんだなー、って。一応気にしてることだから、雨の日はいつもより気合い入れてトリートメントしてたりするから、そのへんが一応功を奏しているのかもしれない。
逆に、「気にしてない」人の方がどうしようもない外見してる。
前にも書いたことあるけど、気にしてるのか気にしてないのかわからないけど、自分の体型も顧みず「流行の」ローライズパンツなんか穿いて、よけいデブで短足に見えてる子とか。
たぶん、「気にしている」子はそんな格好はしない。
(デパートのトイレで、「アタシお腹出てるからさー、あんなパンツ穿けないんだよねー!」って大声で話してる子がいて、思わずちらっと見てみたら、ちゃんと可愛いスカートを穿いていた。それはそれなりに似合っていて、可愛かった(そんなこと大声で話すのはどうかとは思うけど(笑)))
同期の女の子でも、わたしより年下なのに、なんかもう完全にオバさんな格好している子もいるし。
だから、「気にしている」のはそれなりに、いい方向に向かう原動力になるから、いいことなんだと思う。で、一応時と場合に応じて、「気にした」格好ができるかどうか、っていうのは、やっぱり普段の考え方のスタンスが出てくるんじゃないかと思う。
「見かけ」っていうのは要するに、身の程と状況に合った格好ができるかどうか、ってことなんじゃないかなあ。
。。。なんだかよくわからない論旨になってきたかも。
つづく、かも。
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