特に小中学校くらいで、特に苦労もしないで1,2番だった、っていう人は、わたしの周りにはけっこう多い。それは、一応都立の上位校にいれば当然のこと。だってそーいう子がそーいう高校に入って来るわけだから。
でも、だいたい高校に入ったあたりから、普通はそこそこの「苦労」が始まるらしい。本当に「何もしないで」試験で高得点が取れるレベルじゃなくなるから。
そこで、もちろん部活やバイトや夜遊びなんかに燃えて、勉強よりも重視するものができてくる価値観を持つようになる人もいて、それはそれでいいと思う。
勉強に限って言っても、今まで特に苦労しないでできたレベル以上のことになると、自分の向き・不向きがわかってくる。
わたしは明らかに理科や数学は好きで得意だった(だから覚えるべきことはいくらでも覚えられた)けど、歴史なんかは苦労しないで覚えられるキャパをこえてきたと感じた(それ以上の興味はもてなかった)し、それでやっぱり理科系向きの頭なんだなー、って思ったし(でも古文・漢文は何故かかなり好きだった)。もちろんその逆の人もいた。
そーいう過程があって、自分の興味、向き・不向きを考えて、進む方向を考えていくんだろうと思う(もちろん勉強に関してだけじゃなくて、先にも書いたように、その他に夢中になれるものをみつけていくのもひとつ)。

で、こーいうことを考えると、「小中学校くらいでは特に苦労しないでもどの教科もそこそこできた」っていう状況が果たしていいのかどうか、ていう気になってくる。
何が言いたいのかというと、小中学校くらいでも、学校で習うことはある程度以上できてしまう子にはもっと先に進ませてもいいんじゃないのか、ってこと。
その段階での自分の能力をこえるだけのことをやってみないと、自分の限界はわからない。例えば跳び箱の4段が跳べる子がいたとして、4段までの跳び箱しかなかったら「合格」で終わっちゃうけど、6段、8段くらいまで準備して跳ばせてみないと、本当はそのときの能力で6段までは跳べるのか、4段がやっとなのかがわからないでしょう。ということ。今の小中学校の教育は、そこで「4段の跳び箱」しか準備してないってことだと思う。しかも、最近の流れでは、4段でも跳べない子がいるから3段しかやらせないことにしましょう、ってことになってる気がする。
それはやっぱりおかしいと思う。んだけどなぁ。わたしは。

だからある意味、別に勉強だけじゃなくて、自分の限界にぶちあたるっていうのは、悪いことじゃないと思う。それは「今の」自分の限界かもしれないけど、ずっとそうとは限らないから、行けるところまで行ってみるってのもひとつだし、それはそれとして、もっと他のところに自分の向いてるところがあるのかもしれないし。

うーん、なんだかわからなくなってきた。。。

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