お勉強続編。

2002年6月20日
昔にも書いたことあったかもしれないけど。

わたしは勉強ができる。(できた、と言った方がいいかもしれない。)
これは自慢でも何でもない。ただの事実。
小中学校では大して苦労しなくても成績はクラスで1,2番だったし、高校受験もまぁ普通に勉強して都立の一番上の学校に入ったし、大学受験の時も高3の秋まで部活やっておきながら現役でそこそこの国立大学に入ったし。(ここまで言うと自慢っぽいな(苦笑))

最近の小中学校や、文科省が何を考えてるんだかわからないけど。
「できる」子にとっては、ほとんど100%わかってしまう学校の授業は本気で退屈。
だから、別に受験のためとかいうわけじゃなくても、知的好奇心を満たすために塾が必要だった。学校では教えてくれないことをどんどん教えてくれる。こーいうところで勉強しておかないと、できることもできなくなる、と思う。
知識の詰め込みを批判する人もいるけど、知識は絶対に必要。日本語(最低でもひらがなとある程度の漢字)を知らないと話もできないでしょう?それと同じで、数学の世界で話をするには数式の記号の意味がわからないといけないし、化学の世界で話をするにはある程度の元素記号なんかは知らないといけないでしょう、ってこと。
ある程度「できる」子にとっては、決して詰め込みなんかじゃない。一見、「こんなこと覚えて何の役に立つの?」ってことでも。直接何の役に立たなくてもいい。「知識」を使う、っていう練習は、「知恵」になるから。
よく、学校で習ったことが役に立ったためしなんかない、って言う人もいるけど、決してそんなことはないと思う。因数分解だって微分積分だって、頭の体操だと思うし、「考える」ことが大事だと思う。世界地理を習ってなかったら、W杯に出てる国がどこにあるのか、何となくでもわかることはないでしょう?(笑)

そして、だからこそ、「受験」に必死になるのも、どーかしてると思う。
普通に勉強して行けるレベルの学校に行けばいいんだよ。っていうのは、ある程度知識レベルが同等の人が集まった方がやりやすい、ていうだけのことだと思うから。
別に、順位をつけることに意味があるわけじゃない。上の方(試験で高得点を取る人たち)が偉いとかそーいうわけじゃない。ただ、もう十分に知っててわかってる人に同じことを教えてもしょうがないし、そーいう人たちにはもっとたくさんのことをそれなりのやり方で教えるべきだし、逆に今まであまり知らなかった人にはそれなりの教え方があるし。ていうこと。

そこで、「上」が偉い、みたいなヘンな価値観がまかり通っているから、ヘンなムリをしておかしくなるんだと思う。とにかく丸覚えしなきゃできない問題なんかはできなくていいんだよ。その人のレベルはその程度だってことだから。ある程度の基礎知識さえあれば、あとは考えれば何とかなる。その「基礎知識」と「考える力」のレベルわけをするだけじゃないか、と思うんだけど。

大人になってからだったら、例えばTOEICのスコアで英会話教室や教材のレベルを決めるでしょう。それと同じ。だから本当は、もう少し科目ごとの柔軟性をもたせられればいい、っていう気持ちもあるんだけど、でもそれは大学からで十分、とも思う(それまではどの科目も「基礎知識」あるいは「教養」としてのレベルだと思う)。大学では理系/文系とか、基本的に自分が得意で興味のある分野を選べるでしょう。

もちろん、勉強はできても他にできないこともある。わたしはわりとその気があるんだけど、すでに確立していることを理解して記憶して使いこなすことはわりと得意でも、ゼロから新しいことをつくり出すのが苦手。創造性には乏しいかもしれない。でも、誰かがゼロから1をつくってくれれば、それを10にも100にもしていくことはできると思う。
もちろんその逆の人もいるはず。
それは、どっちのが偉いとかじゃないはず。

ついでに言えば、運動会でみんな並んで手を繋いでゴール!なんていうのも馬鹿げてる、と本気で思う。そーいうところで目立つ子がいてもいいじゃないか。たしかにわたしは走るの遅かったから徒競走なんか大嫌いだったけど、でもこれはなんか違う。予選をやってある程度レベルの似てる人が一緒に走って競争する(単に背の順とかじゃなくて)、っていうのはまだわかるけど。
やっぱり最近の小中学校(というかその親か?)は何考えてんだろーなぁ。。。

。。昨日、一昨日の続編、というかフォローというか、のつもりで書きはじめたら熱くなってしまった。。。(苦笑)

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索